当時、私はIIJの技術部長をしていた。日本で商用のISPのサービスが開始され、IIJ、SPIN、富士通(まだ、Infowebという名前は付いていなかったと思う) の3社がサービスを開始していた。
日本のインターネットは学術系のネットワークが主流で、WIDE、TISN、JAIN 等が東大での相互の接続性を持っていた。IIJ と WIDE は仲間内だったので、直接 128Kbps で接続をしていた。
まだ、IIJも IP接続の顧客をもっているわけではなく、まだIIJ自身がWIDEの共同研究組織として接続している状況であった。
IIJのサービス開始当時は、JUNET型のUUCP接続をサービスしていたので、電子メールはIIJのサーバで中継していた。またWPNC という WIDE 内のプロジェクトで、NIFTY、PC-VAN、ASCII-net の商用サービスとの間もすでに利用できるようになっていた。
しかし、その他については、アメリカ経由で接続するという不経済な状態であり、また IIJ と WIDE はつながっているのに、他はなんでつながせてもらえないんだという突き上げも出てきていた。IIJも特別第二種電気通信事業者の認可が下りるまでは、メールは国際電話を使って、UUCPで UUNETに送っていた。
WIDE は共同研究プロジェクトであり、参加すれば接続できる。もちろん IIJ と WIDE はそういう枠組みで接続していた(なお、SPINを運営してた AT&T JENSと富士通は、資本、人的関係があり、相互接続していたと思う)。
すでにアメリカには CIX (Commercial Internet eXchange) という仕組みがあったので、当然そういうものが日本でも必要なのは明らかだった。しかし、ISPは特別第二種電気通信事業者(当時)としてサービスを提供していたので、郵政大臣の認可が必要な事項であったと記憶している。ただでさえ、わけがわからずもめにもめてスタートした日本の ISP 事業で、料金の精算方式などまったく存在しない相互接続ということで、また正面切っていってももめるという気がしていた。
そこで、WIDE お得意の実験ということで、これを行うことになった。
私は、IIJ と WIDE の帽子の使い分けをしながら、SPIN と富士通がそれぞれ WIDE と共同研究することになれば、WIDE を経由して接続性が生まれる。しかし、商用のトラフィックが非営利の WIDE のルータを経由して流れるのもよくない。かといって、直接の相互接続は認可事項である。というわけで、WIDE の東京NOCに実験的にL2スイッチを別において、IIJ, SPIN, 富士通、そして WIDE が接続してスタートすることになった。例外的に、WIDEが国内の他のネットワークに対してはトランジットを提供するということで、国内トラフィックが海外を経由しない体制が作られた。
最初の接続速度は、IIJが 128Kbps、SPINと富士通が64Kbpsであった。後にトラフィックが増加したため、IIJが一気に1.5Mbpsに増速した。この時に、NSPIXP(NSPIXP1)は T1(1.5Mbps)というルールにした。
NSPIXP は、その後も続いており、KDDI大手町ビル内に設置され、100Mbps接続になったNSPIXP2, 大阪に設けた NSPIXP3 と続いていく。なお、NSPIXP1は、NSPIXP2の開始後、まもなく廃止された。