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パーソナルヒストリーメモ(その5)

  • 研究室にmicroVAXが入ったので、保守用と称して直通の電話回線を引いてもらう。用途は、自宅から使うのと、JUNET用。
  • モデムは最初、どっかの外国製の 2400bps のもの、次はお決まりの Trailblazer。
  • しかし、手持ちの FM-8 では、既存のターミナルソフトでは、2400bps には追従できない。白黒モードにすればなんとかぎりぎりなのだが、vi が使えない(カーソル移動できない) ので、サブシステムを直接いじるプログラムを自分で書く(FM-8は、2個6809を積んでいて、片方がディスプレイサブシステムで専用になっているというのが売りだったが、VRAMを直接触れないので、画面を高速化するには不向きだった。サブシステムをハックする方法が公開されてできるようになった)。
  • ネットニュースに流れるソフトウエアなどを片っ端からインストールして、どっぷりとこのコミュニティに浸かったのもこのころ。
  • 研究室では、X線結晶解析のプログラムなどをワークステーションに移植して、開発者とやりとりするなど、一応化学の仕事もしてたな。しかし、このプログラムもオープンソースなので、コミュニティ的には同じようなもの。
  • 自宅で日本語は、OASYS 30AFII だった。
  • 教育用計算機センターの仕事で FM-16βをもらった(無期限貸与?)ので、それを家にもってかえって、日本語も高速な通信も可能になる。研究室は、98だったので。これで、日本語も統合。
  • このあたりで、INS64のサービスが始まったはず。
  • 教育用計算機センターの仕事で、知り合った三輪さんの会社で、INS64 Dch を使って、SunLink X.25 で東京ー京都間を IP接続するとかした。原則メールだけだが、rlogin もできるので、すごく便利だった、でもすごく料金は高かった?
  • UTnetの初年度の納入が終わって、運用センターが発足。教養学部との兼務助手となり、大半は、本郷の大型計算機センターの3階に。同室は、工学部兼務の石田慶樹氏。隣室に中村修助手や、平原正樹助教授の部屋が。
  • 平原正樹氏(故人)は、助教授として赴任したが、JNIC の仕事や、雑用に追われる。
  • こういう仕事をしてるやつが少なかったせいもあるのか、いろいろと恵まれて、Sun3/80 とか、Sparcstation-1 とかを買えた。
  • UTnet運用センターの仕事を始めてから、さそわれて WIDE Project に(正式に)参加する。
  • IIJ に移るまで、ここから、わずか2年なのだが、この間にいろいろなことがあって、すごく長かったような気がする。

(つづく)