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NIFTY-ServeのSYSOP

むかし、 NIFTY-Serveというサービスがあった。リンク先は、Wikipedia であるが、概要だけが書かれている。全盛期のことは、「ゼロから会員200万人を達成したニフティサーブ成功の軌跡、小林 憲夫 (著)」という本が最もよく書けているのではないかと思う。現在のインターネットとは全く異なる「パソコン通信」といわれる一時代を築いたサービスである。

私は、UNIXフォーラムと、Internet フォーラムの2つのフォーラムの SYSOPをしていた。SYSOPになった経緯というのは、大学院生当時に共同執筆をした、古瀬幸弘君が、先に SYSOP をしていて、彼に NIFTY-Serve に誘われたことから始まる。私は当時、東大の助手になっていて、研究室で UNIX ワークステーションを利用していた。NIFTY-Serveやパソコン通信は当時、先端的な文化人のツール的なイメージもあった。当時、同じキャンパスで教授をしていた公文俊平先生も、古瀬君と親交があった。

一方、UNIX ユーザの世界では、日本のインターネットの前進ともいえるJUNETが存在していた。東大は、村井純氏がちょうど東大大型計算機センターに移ってきたところで、私は教育用計算機センターの仕事を手伝う仕事をしていたので、研究室のマシンを接続してもらってその仲間に入っていた。

話を NIFTY-Serve に戻すと、当時 NIFTY-Serve で最も人気があるフォーラムは、Mac のフォーラムだった。世間的には、ユーザは Windows, MS-DOS 系の方が多いのだが、NIFTY-Serve ではなぜか圧倒的に Mac が人気だったと思う。このあたりの原因を古瀬氏などとも考えたような気がするのだが、雑誌や他の情報が少ない割に、能動的にそのツールに愛着を持つ人が多いというのが、Mac フォーラムの人気の秘密ではなかったかと思う。当時、海外のネットワーク情報にアクセスするためには、アメリカで同様にサービスされている、Compuserve などにアクセスしなければならず、非常にお金のかかる話だったと思う。

さて、UNIX は当時、大学、研究機関やごく一部のプロフェッショナルだけのものであったのだが、JUNET でサービスされていたのは、電子メールとネットニュースであった。この当時の JUNET は一部のキャンパス内ネットワークを除いては、公衆電話回線にモデムを接続し、UUCP というプロトコルを用いた、いわゆるバケツリレーネットワークであった。現在でも、インターネットの電子メールがこの方式をとっているという誤解が残っていることがあるが、現在この方式は全く使われていないと思っていいだろう。

ネットニュースの仕組みについては、種々の解説に譲るとして、大学、研究者によって情報が交換されていて、国際的に大量の上質の情報が流れていた。

当たり前だと言ってしまえば、しょうがないが、NIFTYユーザのレベルとの情報格差は歴然としたものであった。しかし、この両者のユーザ間にほとんど交流がなく、NIFTY-Serve のユーザにおける UNIX 系の情報に関しては求めている人がいないわけではないが、与えられる人も皆無に近いレベルであった。さまざまな成り行きはあったのだが、私は UNIX フォーラムの SYSOP になった。

最終更新日: $Date: 2008-10-14 18:52:29+09 $