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NIFTY回覧プロジェクト

先日、ひょんなことから、私が UNIXフォーラムのSYSOPをしていた当時に交流があった人にお会いした。

といっても、以前に会ったことがあるわけではなく、NIFTY上で何回かフォーラムや、電子メールでやりとりがあったというだけである。

当時、彼はあるシステム会社で、Sunのワークステーションを取り扱った仕事をしていたということだ。UNIXはオープンシステムといわれているが、これはあくまで十分に情報があればという話で、日本に Sunが導入された当時には、決して十分な情報の流通があったわけではなく、一般の人が、UNIXの勉強をしようにも非常に情報は限られていた。ベンダーはもちろん当時のカルチャーを考えれば、囲い込み型であり、オープンシステムがオープンとして活用されてはいなかった。NIFTY-Serve の UNIXフォーラムはその中で非常に有用な情報源であったということだ。

オープンシステムの威力の発揮は、現在では当たり前となったことだが、ユーザ間の情報交換が活発に行われ、また共通に利用できるソフトウエア、ツールが流通していて始めて実現できることだ。

さて、ここにPCで動くフリーのUNIXが登場した。最初は、386bsd であった。これは、バークレー版の UNIXの公開されたコードに不足する部分を、ライセンスフリーの形で書き加えて、無料で流通することを可能にしたものだった。最初のバージョンは、非常に限られた構成のハードウエアでしか動作しないものであったが、画期的な出来事であり、NIFTY-Serveでも大きな話題を巻き起こした。

しかし、全部のソフトウエアの容量は、正確には記憶していないが、3.5インチのフロッピィディスクで 50枚くらいあったので、NIFTY-Serve に備わっているデータライブラリからダウンロードするには多くのユーザの環境の 2400bps のモデムではほぼ不可能というものであった。私は確か、9600bps のモデムを使ってすべてのファイルをデータライブラリに入れたのだが、中にはそのダウンロードを試みるユーザもあったのだが、現実的には非常に厳しいので、フロッピィとテープの回覧を行うという企画を行った。

先日お会いした方は、このときのフロッピィ回覧に参加されたという方で、当時その連絡のために数回メールのやり取りをしたということだった。

この 386bsd の登場によって、すべての OS のソースコードを見られるという画期的な状況が生まれた。その後の、Linux の人気も当然その延長戦上にあるものだが、大学、研究機関に限られていた UNIX の情報が一般に開放されたときと言ってもよいだろう。

さて、言いたいことは、それだけではない。この当時のテープ、フロッピィ回覧という行動の意義である。実際に物理的に物品を配送しなければならないので、経路の隣の人同士は最低限メールで本当の住所と名前を教えあわなければならない。中には近所なので手渡しをした人や、複数のコピーを作って分岐をしてくれた人などがいたと記憶している。これをきっかけにして実際の交流が生まれた人たちもいたということも聞いたことがある。

実は非常に困難と思われたデータライブラリからのダウンロードのほうが結果的には数が多く、驚きでもあったのだが、こうした能動的な行動に参加する、しないというのは後に振り返ると面白いなあと感じた。

先日お会いした方も、テープ回覧に参加したので、そのことを鮮明に覚えていたんだと思う。たぶんデータライブラリに入っている膨大なファイルを夜な夜なダウンロードしただけでは、たぶん15年ほど前のことで些細なこととして覚えていなかったんではないかと思った。

最終更新日: $Date: 2008-10-15 12:11:59+09 $