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パーソナルヒストリーメモ(その7)

IIJの本編に入る前に、思い出したことがあるので、メモ
  • BBSがブームになった時期がある。NIFTY-Serve のサービス開始は、1987年と結構遅いのだが、アメリカでは1980年代前半から始まり、1984年には Compuserve がかなりの規模になっていた。日本からも、Venus-P を使用して利用している人もいた。
  • 日本では、1985年のNTT民営化以降に、急速に PC をホストにする草の根BBSと呼ばれるものが流行っていた。
  • アメリカでは、こうした BBS が相互接続して、ネットワーク化するグループもあったようだが、日本ではあまり聞かない。
  • TWICSというBBSが日本では非常に早い時期に開設され、若き日の伊藤穣一氏や、公文先生らが加入してコミュニケーションを行っていた。私は、入らなかったので詳しくは知らない。
  • TWICSシステムのエンジニアリングは伊藤穣一氏が担当していたのではないか?
  • 伊藤穣一氏を紹介してくれたのは、力武健次君だった?
  • オペレータのジェフ・シェパード氏からの依頼で、JUNETに接続した。ccut で引き受けた。
  • JUNET協会の発足で、会費を集めることになったが、JUNET協会のドキュメントは日本語しかなかったので、うまく伝わらなかった。それは JNIC も同じ。
  • JUNET協会を発足した後、参加希望者を受け入れるために、AT&T JENS の宮地社長を訪ねて、協力(事業化)をお願いした。その後、自分が IIJ を始めることになって、気まずい思いをしたなあ。
  • IIJを始めて、まだサービスが始まらないころ、このような問題で、TWICS が発信源となって、日本のネットワークが閉鎖的だとか書かれた。
  • TWICS は結局、AT&T JENS (SPIN) に接続し、サービスを提供した。

(とりあえず、一旦切ります)