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パーソナルヒストリーメモ(その8)

  • IIJは、「インターネットイニシアティブ企画」として、1992年12月に登記
  • 会社としては、参加メンバーと、WIDE のボードメンバーが100万円ずつ出資して、資本金1800万円でスタート。
  • その後、メンバー友人を誘い、4800万円 (4900?) に増資。ここまでは全部個人株主。次に、法人株主が加わり、資本金2億円に。
  • 1993年1月から参加する。その時点では浅羽氏は、米国 UUNET Technologies へ行ってた。
  • アメリカでは、1987年に USENIX の資金で、UUNET Communication Service が立ち上げられ、非営利組織への UUCP 接続サービスを提供した。2年後、非営利事業から転換し、1990年Alternet サービスを開始。これがアメリカでの商用インターネットサービスの開始。
  • IIJのサービス開始には、1年半を要する。郵政省の特別第二種電気通信事業者の認可問題。
  • 電気通信主任技術者の合格は、1993年8月で、同時に合格した楠本氏と2人で技術的要件を満たす。満たさないのは、経理的基礎という要件。
  • この間、講演活動をせっせと行う。IIJ が主催するものと、そうでないものと両方あったか?新聞かなんかに「インターネットの伝道師」と書かれる。
  • UUCPサービスを1993年夏に始める。JUNETの参加者の受け皿がないので、限定的に始める。国際部分は UUNET との国際電話での UUCP。
  • IP接続も秋に始めるが、これはWIDE-NIFTYがあふれていたために、IIJ-NIFTY へ接続替えして、国内サービスを提供する。国際部分はなし。
  • この間、旧知の人から、いろんな話を聞いて、資本の論理の複雑さで、頭がグルグルして、のちの不信感の元になったか?
  • 1994年に社長が深瀬さんから、鈴木さんに交代。その後、住友銀行等の支援で、特別第二種電気通信事業者認可。直ちに、IP接続サービスを開始。また、全国展開。IIJ東海、IIJ中四国、IIJ九州などの地域会社を地元企業との合弁で設立する。
  • AT&T JENS (SPIN) と富士通(InfoWeb)がサービスを開始したので、WIDE東京NOCに日本版CIXともいえる NSPIXP (NSPIXP-1) を実験と称して開始。(WIDEの得意技)
  • ヤマハの高山さんらが IIJ を訪問し、(確か山口英の紹介)ISDNプロダクトの相談を受ける。「普通のルータを作ってくれ」というのはちゃんと覚えている。当時 WIDE では、SparcStation 1 で SunLink IR を利用した、64Kbps での IP接続を実現し、村井さんの家とかで使っていた。結構すぐに、RT-100i の試作機ができてくる。
  • IIJ東海の設立パーティの日に、ヤマハの高山さんから、アライドテレシスから OEM で出すという話を聞いて激怒。そこを通りかかった、当時住友商事の名古屋支社長だった吉井氏に引き取ってもらう(以下、ヤマハのホームページにあるかな?)。
  • ダイアルアップ IP接続サービスを開始。SLIP はなしで、PPP だけでやる。結構、当時の海外の友人からは?をもらったが、SLIP ではアドレスを渡す方法が標準化されているわけではなかったので、やめて、MacPPP と Chameleon (まだ、Windows95は出てない)で接続可能なことを確認して開始。
  • ダイアルアップ IP は当初、Livingstone のターミナルサーバと、集合モデムで開始するが、すぐに INS1500 を使う Ascend MAX に交代。バカ売れするので、NTT に INS1500回線のクレイジーな発注をする。
  • このころから、IIJ の専用線サービスを買って、ダイアルアップサービスを提供する会社が現れ始める。IIJ のサービスは高かった。ベッコアメなど。
  • 溜池から三番町にオフィスを移転。

(つづく)