- 教育用計算機センターのシステムリプレースに合わせて、駒場に教育用計算機センターを作るので、その機種選定をする委員会に加わる。それまでのシステムは、MELCOMだった。駒場にも小型のMELCOMがあって計算機室というのがあった。助手着任後、計算機室の関係で知り合ったのが、当時杉本大一郎教授の下で大学院生をしていた、GRAPE を作った牧野淳一郎君(現神戸大学大学院教授)。
- この時期は、まだ IPアドレスは、クラスA, B, C の時代で、サブネットがサポートされ始めた時期。
- 理科一類は、図学(製図)が必修で、理科二三類は、生物学実験が必修。工学部の一部は、図学の単位を履修していないと進学できない。生物学実験の単位を取得してないと進学できないのは、医学部だけ?だった?計算機教育を担当する部門が教養学部に必要となるわけだが、図学教室の改組で対応することになった。これに関しては後に聞いた話としては、かなりもめたらしい。
- 図学教室の改組で、図学の単位を情報の単位に移すことになるために、カリキュラムとしてどうするかが、揉めて、それの現れが、「Pascalプログラミング」という教科書(私も共著)。
- システムは富士通がやることになり、本郷は M380で、UTS (SysV系UNIX) との VM、駒場はM360で、UTSなし。端末は、FM-16βという構成。富士通の人たちとの本格的な付き合いは、このリプレースの時から。
- 川合先生の提案で、CGMを使って、メインフレームと、PC のほうでグラフィックを扱えるようにすることになり、FM-16β用Pascal の画面出力と、CGMライブラリを私が作成(なんで、オレが作るの?まあ、だいたいそんなもん人に作らせるより手を出した方が早いんだが、どんどん嵌められるなあ。M360側で、CGMから作画するのは富士通が作成)。CGMをメインフレームに送ると、プリンタで綺麗な絵が、高速で出力する仕組みを作って、図学のリプレースに。。。
- 工学部LANが先行して、作られたが、学内LANはまだない。理学部、生産工学研究所、教養学部など一部で、勝手LANが構築されていた。生研は、SLIPでつないでいたが、教養学部は UUCP。川合先生の研究室ができた時に、教養学部の建物間をSLIPで接続。
- 工学部LANは、最初アドレスを、1.0.0.0/8 で運用した。これも村井さんが決めたらしい。
- その後、WIDE, TISN がハワイ大学経由でIP接続することになる。
- この当時は、HEPNET(高エネルギー物理学系のネットワーク)のプレゼンスが大きかったので、東大理学部はそっちの流れで、WIDE とは独立して接続。TISNでは当初DECNETもサポートしていたと思う。
- 理学部を除く他の全域のIPアドレスを、130.69 に変更すると同時だったかどうだったか覚えてないが、アドレスの割り当てを受けて、サブネット化する。ただし、工学部LANはサブネットをサポートできないので、CISCOで ProxyARPをして接続。
- この時期に、工学部以外の部局を含めた u-tokyo-admin を編成することになり、音頭を取ったのが、工学部精密工学科助手だった石田慶樹君。
- 駒場と本郷をIP接続するのは、私のとこの microVAX と、大型計算機センターのサブシステムの VAX8600(?)との間を、Dialup SLIP で接続したのが最初。このときに、初めて村井さんと電話で話して、その設定をする。なんで、Dialup なのかというと、電話回線を使うというわけではなく、駒場から、本郷の大型計算機センターを共同利用するのに、9600bpsの専用回線があり、そこにポートセレクタが2段(駒場側と本郷側)で入っていたので、そこにチャットスクリプトが必要だったため。生研も似たようなことをやって接続していたのだが、一段だけだったので、ccut (当時Sun3/280) に接続したはず。
(長くなりすぎ、つづく)