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パーソナルヒストリーメモ(その2)

  • 駒場の助手は、学生実験の担当が週に1回あるのだが、自慢じゃないが水仕事(実験)はとても得意。自分が学生の時には、ホイホイと終わって、他人のことなんかほとんど気にしなかったのだが、こんなに下手くそが多いのかとびっくりする。一年目にレポートを丸写しするやつが10人ぐらい出てぶちきれる(若いなあ)。
  • そうは言っても、結果は分かっている実験なので、失敗する原因を如何に排除するかだけがポイントで、そのあたりをどう押さえるかが勝負なんだが、あれ、だめな子はどうしょうもなくだめなんだよなあ。その後どうしたんだろう??????この辺りは、今の ICT 系のオペレーションも同じで、ちゃんとドキュメントを読んで、押さえるところを押さえればいいのだが、要はなんでそれをしないといけないかが分かってないから、ちゃんとできないんだよなあ。
  • 助手の面接の時に、やたらとコンピュータのことを聞かれるので、いやな予感がしたのだが、待っていたのは、システム開発だった。
  • 要は、測定器からコンピュータに 生データを移してきて、食わせるわけだが、ネットワークなんかないので、フロッピィディスク渡しで、一方は PDP-11 で、それを PC-9801 に持ってきて、データ変換して、ホイホイとやるだけなのだが、その辺はできないわけだ。
  • 学生が、分子模型のお絵かきプログラムを作ってくれていて、そこから座標データを吐かせて、シュミレーションとかするわけだが、大型計算機センターとのデータのやり取りのところは、超ダサかったので、いろんなターミナルプロプログラムを試して、手直しして、便利にした。手元の XYプロッタとかで絵も描けるようにした。しかし、便利になると、たくさん仕事をするので、計算機センターの使用料で研究費はあえなく破産する。
  • こんなんじゃやってられねえ!ということで、先輩助手と科研費のプロポーザルに思いっきり叩きつけたら、大当たりして、ワークステーションを買う (MicroVAX) 。これが完全に間違いの始まり。
  • 機種選定の時に、いろいろ勉強して、入ったとたんに、JUNET につながせてもらう。その時にお願いしたのは、大型計算機センターの松方さん(故人)だった。村井さんも、東大の助手になっていたんだが、まだこの時は話をしてない。松方さんが、各学部のドメイン名を決めたのが村井さんだと言ってた。
  • まあ、UNIX が使いたくてしょうがなかったのは、OS-9 とかいろいろ使っていたので、当然なわけで、嵌るのは当然の流れ。
  • これと前後して、教育用計算機センターを駒場にも作るということで、検討のための委員に加えられる。その後、業務委員にも。

(長くなったので、つづく)