- 教育用計算機センター駒場支所ができて、本郷駒場間が、64Kbps の専用線で接続される。ただ、問題は本郷側の教育用計算機センターは、なんとサブネットのない工学部LANの中に接続されて、困ったことに。
- 工学部LAN(サブネットなし)とその他のサブネットのある世界との間は、大型計算機センターの CISCO (たぶん AGS) で接続されているので、こいつが proxy ARP をしてくれる。CISCO の proxy ARP は自分が経路上に乗っているときには、ARPを返すということをするので、これを利用して、工学部LANの後ろにサブネットを接続する場合には、工学部LAN側のIFで、自分自身に default route を向けるという技を、石田慶樹君が発見。つまり、すべての相手に対して、ARP をするので、CISCO が答えるということ。この方法を使って、駒場のサブネットを接続する。
- 64Kbpsの専用線を接続しているのは、富士通製のSysV系のワークステーションで、この後、UTnetでもお付き合いすることに。
- 教育用計算機センター駒場支所が完成して、部屋が余っているということで、全学一般教育ゼミナールを開講、開講できるのは教授(助教授)なので、公文先生の名前で開いたと思う。古瀬にも手伝ってもらったが、その時の学生が、現在、この世界で何人か活躍中。まだ、あんまりインターネットの話でもなかった気もする。
- 学内LANの予算がついて、機種選定を行うメンバーに加わる。これが後のUTnetの運用センターにつながっていく。
- そもそも本郷だけの予算がついたのを、3年かけて東大全域にしようというので、予算的には無謀な話。まともにいったら全然足りない。CISCOでやるというNECの提案なんか、予定価格とは遥かかなたの乖離をしていて論外。
- 村井さんは予算が付くことが決まった時点で、慶応へ。代わりに中村修が大型計算機センター助手として着任。
- FDDIバックボーンで構築しようということにしたが、まだ、FDDI の相互接続性が怪しい時代。で、Interop (サンノゼ)で検証できていることを条件にすると息巻いて、Interop に行く。
- CISCO の本社を訪問する。当時ブレバブの2階建て。その2階で、なぜか1人でプレゼンをするはめに。英語は、今も全然上手にならないが、完全にハイな状態で、絵を書きながら、英語でその当時の工学部LANとの接続の問題を説明して、その機能の確認をした。
- 全然予算が足りない中、富士通が、富士通製のFDDIブリッジと、件のSysV系ワークステーションをルータにする組み合わせで実行することに。gated を動かして、なぜか私が gated.conf を書くはめに。
- 二年目に、駒場第一(教養学部)と、駒場第二(先端研など、現在の生研などがあるリサーチキャンパス)と六本木(当時の生研)を専用線で結ぶ。上記の工学部LAN接続用ルータと共用のキャンパス間接続ルータだけは CISCO。
- キャンパス間接続の回線速度は、64Kbps で十分という斎藤忠夫先生を、妙な熱意で説得し、768Kbps にする。六本木はお金持ちなので、1.5Mbps。
- この回線は当時サービスを始めたばかりの、TTnet の 6Mbps (多重回線) で、たぶんこの太さは第一号ユーザ。この後のTTnetとのお付き合いのきっかけ。
- gated.conf の設定は、全部リモートでしたんだが、1回だけ失敗して、駒場第二キャンパスに夜行ったことがあるかな?