以前、講演などで、「日本のインターネットオペレーションは世界最高水準である」という話をしたことがある。特に IIJ の初期については、確実にそうだと思っていた。当時 IIJ のバックボーンネットワーク運用の中心は、浅羽登志也氏が、コンシューマ向けのネットワークサービスの開発は、大野、三膳の2名が中心になっていた。
浅羽氏は、IIJ のサービス開始直前まで、アメリカの UUNET に行っていた。日本でのサービス開始にあたり、アメリカ側にパートナーが必要だったためである。UUNETは、最初は、非営利団体として、uucp ベースで、メールと USENETニュースの配送サービスをしていたが、中心となっていた Rick Adams 氏が会社として設立したところであった。Rick Adams 氏とは、JUNET時代から村井氏はじめWIDEのメンバーと親交があり、ちょうどUSでも1991年に商用サービスが開始され、すでに IP 接続(専用線)が開始されていた。浅羽君はすでに WIDE のバックボーンネットワークの運用を行っていて経験が十分あったので、特に技術的に学ぶことはなかったと思う。当時のアメリカのエンジニアのハイアラーキーなどは非常に面白い土産話だったが、それ以外はむしろ UUNET-IIJ 間の調整が主な役割だったと思う。
コンシューマ向けネットワークについては、最初はUUCP、次いで PPP のサービスを行った。PPP については、当時はまだ、クライアントソフトは、UNIX、Mac 用では一部存在していたが、Windows 用では、まだ Windows 3.1 の時代で、Chameleon のソフトしかなかったと思う。そのため、まだ Dialup IP サービスとしては、SLIP が中心の時代であった。しかし、SLIP に関しては、IP アドレスの動的な割り当てが標準化されているわけではなく、一部のターミナルサーバで、ad hoc なやり方で実装されていただけだったので、これを今からサービスするというのはないだろうと思ったので、IIJ では PPP だけに絞った。JPNIC での IPアドレス割り当て委員会などの活発な議論で、IP アドレスの節約が真剣に議論され、DHCP や、PPP などの動的なアドレス割り当ての技術を普及させることが、重要だという強い意志もあった。
これを、INET ’91 (コペンハーゲン)に行ったときに、アメリカや、韓国のISP の連中と話したら、なんで SLIP じゃないのか、みたいなことをさんざん言われた覚えがある。
おそらく、PPPでのDialup IP サービスの導入と、従量課金制は、世界で IIJ が最初だったのではないかと思う。早晩、UUCP のサービスはユーザが減少して、廃止することになり、Dialup IP のサービスは、コンシューマ向けサービスの主流になり、安価な料金での提供をする事業者もたくさん登場した。
日本は、サービスの開始自体は遅かったが、ある意味その時期のその部分のサービスを構築することなく、次世代のサービスを作ることができ、先行できたのではないかと思う。また、WIDE プロジェクトをはじめとする日本のインターネットコミュニティでの強い決意が反映していて、大胆に、新しい仕組みとアイディアを使ってサービスを構築できたと考えている。
この一世代をスキップするということは、ATMについても言えることだったと思う。ATMについては、NTTはかなり投資を行ったと思われるが、他は、安い専用線の一つとして利用したにすぎないのではないかと思う。もちろん、ATMの開発によって生まれた技術はその後のネットワーク技術に生かされてはいるが、サービスとしてはほとんど提供されてはいない。Interop などでの取り上げられ方にしても、日本とアメリカでは非常に大きな温度差があって、プログラム委員会でもアメリカ側からの意見として指摘されたことがあったと思う。
しかし、日本は ATMを事実上スキップして、広域 Ethernet のサービスを提供することになり、これによって、先行することができたと思う。
このあたりの感覚は、日本のインターネットコミュニティが独自に作ったもので、確かにインターネットはアメリカで生まれたものだが、日本のオペレーションが後追いではないことの証明だと思う。
最終更新日: $Date: 2008-12-27 16:21:49+09 $