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個人のインターネット利用 (1993)

この記事は1993年に書いたものです。

分散する情報と位置独立性

分散する知識情報を共有する基盤技術として、コンピュータネットワークは最 も優れた環境を提供するといえる。パソコン通信によって提供される、電子会 議、電子掲示板、電子メールボックスの活用もその一つとして、その有用性は 広く認識されている。

この一方主として研究分野を中心に発展してきたインターネットは人類の知的 活動を最大限に加速するために世界中を相互に、かつ高速に結ぶものとして、 発展し現在、世界の 60 ヶ国余りが TCP/IP の技術によって相互接続している。 電子メールだけであれば 140 ヶ国余りとの間でやりとりができる。

情報、サービスは、世界中の分散したコンピュータに存在している。情報はそ の生まれるところから得るのが最も正しく、新しいものが得られる。サービス として、集めることは意味があるが、集めることにはコストもかかるし、それ を維持することを考えると、ある一定以上のニーズがないと継続できない。し たがって完全な多様性の要求を満たすことはできない。

インターネット上に提供されているサービスを提供するコンピュータは大きな サーバコンピュータであることよりも、デスクトップのワークステーションで あることが多い。場合によっては PC や Mac であることもある。インターネッ トのアプリケーションは、容易に情報提供ができるという共通の枠組、プロト コルを作成し、それを利用して発展してきている。

個人とインターネット

個人がインターネットを利用できるメリットはさまざまなものがあり、電子メー ルのコネクティビティだけとってみてもそれは非常に大きい。インターネット のどこかに接続できていれば、世界中の人々との間で情報交換ができる。

インターネットは組織間の LAN 間接続の形態を取っていて組織内は高速の LAN によって相互に接続し、組織間の回線はトラフィックを集約して専用回線 を効率的に運用している。わが国では、専用回線のコストが非常に高いために 十分な回線速度を得ることが難しいが、それでもある程度の大きな組織なら負 担することは可能である。

しかし、個人にとっては集約効果はないので、わが国では、最寄りのアクセス 回線だけでも大変なことであり、さらにネットワークのコストを負担するとい うのはたいへんなことになってしまう。

パソコン通信とインターネット

そこで、個人のインターネットとしては、2つのアプローチがある。一つは、 インターネットに接続されているパソコン通信サービスを利用することである。 すでに NIFTY-Serve、PC-VAN が WIDE Project の実験によって接続を行ない、 user-id@niftyserve.or.jp、user-id@pcvan.or.jp というアドレス形式で電子 メールをやりとりできるようになった (現在国内のみ)。また、インターネッ トをコマーシャルサービスとして提供する会社がいくつか出てきたことにより、 これらを利用することで、草の根パソコン通信がいくつか接続され始めている。 現在、もっぱら電子メールだけであるが、今後、高速の専用回線で接続するこ とで、インターネット上で提供されるさまざまなサービスが利用できるように なるであろう。

アメリカでも、急速に数多くのパソコン通信型のサービスがインターネットに 接続されるようになってきている。Compuserve、MCImail は、電子メールが交 換できる。サンフランシスコにある WELL はかなり以前からインターネットに アクセスできるサービスを提供していて、インターネットのサーバからファイ ル転送をしたり、公共の図書館のデータベースをインターネット経由でアクセ スしたりできた。DELPHI、GENIE も接続されており、Prodigy も接続のアナウ ンスがすでに行なわれている。

インターネットは双方向のコミュニケーションを提供することを考えると、既 存のパソコン通信はインターネットに対してサービスを提供する主体になるこ とも考えられる。NIFTY-Serve を始めとするコマーシャルサービスはデータベー スや、オンラインショッピングなどのサービスを提供しており、インターネッ トという社会のなかに、デパート的な存在になりうるともいえる。そう考える と現在のパソコン通信は、○○ニュータウン的な、住宅と、商業地がバインド した街のようなものであるといえるだろう。

パソコン通信型のサービスの変形というか、電話回線から端末としてアクセス して、アクセスした先のコンピュータがインターネットに接続されているスタ イルのサービスもある。これは電話で UNIX のワークステーションにログイン して、通常の UNIX のオペレーションとしてインターネットのさまざまな資源 を利用する。UNIX の知識がないとならないこともあるが、かなり自由にいろ いろなころができる。

しかし、このタイプで、インターネットを利用した場合には、パソコン通信の サービスを提供するプロバイダによって何ができるかが決ってしまうし、なに より、サービスプロバイダ側のコンピュータによってユーザインターフェース が決ってしまう。所詮端末としてのアクセスなので、非常に限られた利用であ るといえる。

より高度な利用

もう一つはインターネットと直接接続することである。これはインターネット の全てのアプリケーションが利用できるし、自分の側のコンピュータの能力に あわせてユーザインターフェースを構築できる。なにより本来の意味でのイン ターネットのメリットである双方向のコミュニケーションが可能になり、自分 の側のコンピュータ上のサービスを全インターネットに対して提供できる。し かし、ノードの管理は自分でおこなわないとならないし、コストも飛躍的にか かることになる。

接続方法は、通常の電話回線を使う方法から、専用回線を使う方法とがある。 電話回線を使ってもさまざまな方式が存在している。これらでも接続方式によっ てできることに差がある。UUCP を利用した場合には、電子メールと電子ニュー スとファイル転送だけになる。電子メールが使えればかなりの部分のサービス が利用できるともいえるが、やはりインタラクティブなアプリケーションは使 えないのでかなりの制限がでる。しかし、通信回線の利用の面では、最も効率 のよく使うので、電話代もネットワーク利用料も安くすむというメリットがあ る。

本来のインターネットを利用するためには、IP 接続を行なう必要がある。組 織間を接続する場合には、専用回線を使うのが一般的である。電話や ISDN を使った場合でも、24 時間つなぎっぱなしにした場合では、専用回線のほう が安くつく。インターネット自身のなかに世界中につながるシステムを持って いるので、電話の交換網の機構は必要ない。インターネットにどこかで接続で きれば、世界中に接続できるようになる (現在の日本の場合、過渡期であり不 完全な部分もある)。

集約効果を全く期待できない個々の利用者へのアクセス回線のコストは個人の 場合さらに重くのしかかってくる。電話を使うというのも、他の用途でも使っ ている電話を流用するというメリットである。アメリカでは CATV などと共有 するという案が出てきており、高速なアクセス回線の可能性が考えられている。

フラットなコネクティビティ

しかし、パソコン通信サービスの今日の発展をもたらしたものとして、日本全 国にアクセスポイントが設置され、日本国内であればどこからでも均一の料金 で利用できるようになったというサービスが提供されたという部分は非常に大 きな比重をしめている。パソコン通信によってあらたにもたらされたものは距 離に関係なくコミュニケーションができ、情報を共有できるようになったとい うことである。

これが世界中に広がればそのメリットははかりしれないものがある。しかし、 既存の通信システムを利用する限り、そのギャップは非常に大きい。国際回線 費はいうまでもなく、わが国では回線費の遠近格差、高速回線のコストは諸外 国に比べて非常に大きい。これはわが国の広域コンピュータネットワークの発 展を大きく阻んでいる最大の要因である。元来通信は、あるポイントと別のポ イントを接続するという目的で設計されているが、インターネットに代表され る情報ネットワークは情報をいかに効率よく共有するかという利用が主なもの で、その仕組みの一部を利用して、プライベート通信が行なわれるというのが 実際である。個々の利用はある特定のホストをアクセスしているので、受益者 負担的なコストモデルが提案されることも少なくないが、知識共有は本質的に、 距離とは無関係である。この格差が新しい技術によってすこしでも小さくなる ことを願ってやまない。

おわりに

インターネットの難しいところは、インターネットに接続している目的がそれ ぞれ異なる人々が、広いコネクティビティと、共通の技術基盤ゆえに集まって、 相互接続しているということである。100 人いれば 100 の考えからがある上 に、100を越える国が相互接続している。

さまざまな個人、組織がさまざまな目的でインターネットに一部となり、その 努力によって支えられている。インターネットにどんな形で接続するにせよ、 アクセスする、サービスを利用するというのではなく、インターネットの一員 となるという気持ちを持って欲しい。個人は非常に小さな存在であるけれども、 インターネットは全てのネットワーク要素が対等であり、個人も要素の一つで ある。

しかし、インターネットが相互接続技術をベースに構築されているため、負担 に見合うサービスしか受けられないということがはっきりとしている。負担は 必ずしも金銭てきなものだけではないが、コストの高い日本ではこれが重くの しかかってくることも事実であることを忘れてはならない。