これは、1996年に書いたものです。
目的は規制“緩和”?
1996年2月8日木曜日、米国のクリントン大統領は「電気通信法改革法 案」に正式に署名し、法案が成立しました。今回の改革法案の主目的は、さま ざまな通信サービスを消費者が幅広く選択できるようにすることです。その対 象としては、CATVや地域電話、長距離電話などが挙げられます。 したがって、電気通信事業に対する大幅な規制緩和、自由化案が盛り込まれています。たとえば、
- 地域電話会社の長距離部門への参入を認める
- 地域電話会社のネットワークのオープン化
- CATVの料金体制の規制緩和
- CATV事業者に新規サービスの提供を認める(電気通信事業およびインターネット接続を
含む)
などが含まれています。
また、メディア事業においては、
- 1企業によるTV放送局所有の上限を12局とする現在の規制を撤廃し、上限なしとする
- 1資本が保有するTV会社の視聴者の割合を、現行の25%から35%まで引き上げる
など、自由競争市場への移行を段階的に促すものとなっています。
しかし同時に、法案には規制を加える条項も含まれています。それらの規制 が、現在インターネットで大きな議論を巻き起こしているのです。
基準なき規制
問題となっている条項は、次のようなものです。
- TV番組における、暴力やセックス描写に対する規制
- 有害と考えられる、コンピュータ・ネットワーク上のコンテンツに対する規制
後者の代表的な例は、ポルノグラフィーでしょう。では、具体的にど のようなかたちで規制を加えるのでしょうか。
前者の場合、子どもをもつ両親に、暴力的だったり、その他好ましくない内 容と判断されるTV番組を除外できる強力なツールを提供するのです。これは “Vチップ”(Violence Chip)と呼ばれる仕組みで、そうした番組に電子的なラ ベルを貼ることができます。このVチップをTV受像機に組み込めば、特別な信 号を含んだ放送を子どもに観せないようにできるわけです。
後者では、コンピュータ・ネットワーク上で、下品もしくはあからさまに性 的な表現を用いた内容を発信すると、違法になります。そうした行為は犯罪と みなされ、最高25万ドルの罰金と2年の懲役が科せられるのです。
しかし、何が違法な情報に該当するのかという肝腎のところは曖昧です。そ ればかりか、TVと同様、発信内容に対する一定の責務を事業者へ負わせたいと いう意図を感じさせる箇所があります。これは検閲、言論統制にあたるとも考 えられます。
相次ぐ抗議行動
この改革法案に反対する諸団体の行動は迅速でした。たとえば、全米 中絶連盟(The National Abortion League)と生殖人権運動連盟(Reproductive Right Action League)、その他の4団体は、法案成立後ただちに猥褻情報を禁 じる規制条項の施行停止をニューヨーク連邦裁判所に訴えました。これらの団 体は、法案の規定によればコンピュータ・ネットワーク上での人工中絶に関す る討議自体が違法になってしまうと主張しています。米国市民自由連合(The American Civil Liberties Union)も、フィラデルフィア連邦裁判所に猥褻情 報規制条項の施行停止を提訴すると発表しました。
なお、反対派により運営されるWWWのホームページは、抗議のしるしとして 青いリボンや黒い背景を使っています。
対岸の火事ではない
そもそも、ポルノグラフィーや暴力的内容のTV番組から子どもを遠ざ けるのは、道徳上の見地から議論される問題のはずです。それを電気通信事業 の自由化とセットにしている点が腑に落ちません。さらにおかしいのは、こう したポルノグラフィーの規制に加え、インターネット・プロバイダや通信事業 者へ一定の責任を負わせようとする意図がみえる点です。
日本でも、つい先日この問題と関わりをもつ事件が起きています。インター ネット上で猥褻図画を掲示しているとして、そのホームページの所有者が逮捕 されたのです。その際、逮捕されたユーザーにWWWサーバーを提供していたイ ンターネット・プロバイダが家宅捜査を受けています。
コンテンツを監視できるのか
ネットワーク上のコンテンツとプロバイダ間の問題は、ポルノグラフィー にかぎりません。従来から、BBSを舞台に繰り返し発生しています。
「コンピュータ・ウイルスをネットワーク上に置いてしまったプ ロバイダは責められるべきだろうか。プロバイダ所有のコンピュータでなくと も、そのネットワークに接続している誰かのサーバーにウイルスのソースコー ドがある場合はどうだろう」
コンピュータ・セキュリティに関するニュースグループで、1つの議 論がもちあがりました。あるインターネット・プロバイダのコンピュータ上に、 コンピュータ・ウイルスのソースコードが置かれているという問題です(ちな みに、1995年1月20日、alt.comp.virusニュースグループに有名な「ミケラン ジェロ」ウイルスのソースコードが投稿されています)。そのプロバイダの返 答は、次のようなものでした。
「コンピュータ・ウイルスの配布を是認するものではない。しか し一方、コンピュータ・ウイルス自体は法に反するものではない」
さらに、以下のコメントも出しています。
「接続しているユーザーのなかに、コンピュータ・ウイルスをサー バーに置いている人物がいることは承知している。しかし、ウイルスを検出し たり除去するプログラムを開発する人間にとって、ウイルスのソースコードは 必要だ。そのユーザーに悪意があるかどうか、つまり一般ユーザーにウイルス を撒き散らすつもりがあるかどうかを、どうやって知ればよいのか」
これに関連して、Internet Society前事務局長のTony Rutkowskiは、
「プロバイダにとって、自社のネットワークをウイルスなどの有 害なファイルが常時存在しない状態に保つことは難しい。しかし何かを発見し たのなら、それについてはプロバイダに責任がある」
という見解を述べています。つまり、ウイルスを積極的に探す必要はな いが、その存在に気づいた場合、プロバイダにはそれを除去する責任があると いうものです。一方、犯罪ではないにしろ、有害な情報はインターネット上に 置くべきではないという別の意見もあります。百科事典はこの意見を採用して いる一例といえます。現在市販されている版では、ニトログリセリンなどの爆 発物の製造方法が記載されていません(過去に子どもや学生が興味本位で試し、 事故が多発したからだといわれています)。
BBS事業者の位置づけ
BBSをめぐる法的問題には、じつにさまざまなものがあります。そのな かでもとくに重大なのが、「BBS事業者は、ユーザーが送信するコンテンツに 対して責任があるのか」という問題です。これについては、2種類の回答が考 えられます。
まず、BBS事業者を電話会社などと同様の“コモンキャリア”とみなす考え 方があります。つまり、扱うコンテンツについてはほとんど責任を問われない というものです。この考え方は、BBS事業者に情報を検閲する義務はないとす るだけではありません。米国憲法修正1条が定める“言論の自由”の遵守と、 人びとのコミュニケーションのプライバシー保護にもつながります。
一方、BBS事業者を“情報の門番”(インフォメーション・ゲートキーパー) とみなし、伝送される情報の内容に責任をもつべきだという考え方もあります。 コンピュータ・ネットワークを、TV放送などをはじめとするマスメディアと同 列であるとみなすわけです。この場合、ネットワーク事業者は、ユーザー間の 通信をモニターし、不適切なものを禁止・排除する義務をもつことになります。 今回の米国の電気通信法改革法案は、後者を意図していると受け取れる部分が あります。
日本の電気通信事業法は、通信内容の秘匿・保持を条件に、通信事業者に対 し免責を保障しています。しかし、WWWによる情報発信をこの法律にどう当て はめるかは、まだはっきりしていません。BBSにおける情報交換と、放送との 中間に位置し、電気通信事業法で定める通信の枠をはみ出しているでしょう。 そのうえ、個々の事業者のサービス形態によって、どちらかに近くなるという ように幅があります。
しかし、現在多くみられる個人向けWWWサーバーのレンタルビジネスでは、 いったん場所を提供してしまうと、事業者に関係なく自由にコンテンツを改変 でき、事業者がコンテンツに関与する機会はほとんどありません。本来ならユー ザーのコンピュータ上に置かれるべきものを、インターネットへの発信の便宜 をはかるために肩代わりしているにすぎません。したがって、コンテンツとプ ロバイダ間の関係は、コモンキャリアのそれに近いでしょう。とはいえ、イン ターネットの変化とビジネスの発達につれ、さまざまな形態のサービスが生ま れています。法令をどのように適用するかの判断が難しい例も増えているのは 事実です。
自由や権利は保障されるべきですが、プロバイダはみずからが提供するサー ビスがどのように位置づけされるのか、またどのような影響をおよぼすのかを、 真剣に考えなければなりません。