これは、UNIX Magazine 1993年5月、「インターネットの利用と仕組み」連載第1回として書いたものです。
わが国でも、インターネットが従来の研究あるいは学術 ネットワークという枠組みから飛び出し、コマーシャル サービスとして提供されるようになり、本格的な利用の時 代に入ろうとしています。そこで、社会的規模の活動にお ける情報インフラストラクチャとしてのインターネット を、その利用という側面から数回にわたり解説してい きたいと思います。 本論に入る前に、私の立場を明らかにしておきましょ う。もともと、私はコンピュータやネットワークを専門 にしていたわけではありません。しかし、東京大学で学内 ネットワークの構築に携わったことからインターネットに 対する関心を深め、利用者としてWIDE Projectに参加 しました。ここでは、おもに研究環境としてのネットワー ク、社会におけるネットワークの役割などについて研究し ました。その過程でネットワークの組織化の必要性を痛感 し、JUNET協会の設立に参加すると同時に、JNICや JPNICの委員も務めてきました。 これらの活動を通じて、ネットワークのさらなる発展の ためにはコマーシャルサービスの提供が不可欠だとの思い を強めました。そこで、昨年12月に設立された日本初の インターネット・コマーシャルサービス会社 「株式会社インターネットイニシアティブ企画(IIJ)」に加わり、現在 にいたっています。 さて、今回はインターネットの歴史を振り返りながら、 わが国でコマーシャルサービスが提供されるようになった 背景を中心に、コマーシャルサービスの必要性と展望を述 べます。
ARPANETからインターネットへ
ARPANETとCSNET
インターネットの源流にさかのぼってみましょう。
インターネットは、 1970年初頭に米国のDoDのARPA (Department of Defense, Advance Research Projects Agency ) により開始されたコンピュータ・ネットワーク「ARPANET」が技術的な出発点です。
ARPANETは、 DARPAの研究プロジェクトを中核とした 少数の大学や先端研究所を相互に接続した研究用ネットワークでした。 ARPANETは、 その運用が軌道に乗るにしたがい、 広範囲の研究活動に対する有効性が認められるようになりました。 さらに、 大学を中心とした学術研究だけにとどまらず、 一般の活動へのコンピュータ・ネットワークの応用性が認識され、 NSF (National Science Foundation)によって1980年代初め、 CSNET (Computer Science Network)のインターネット環境の整備拡充にとりかかりました。
CSNETからNSFNETへ
CSNETによって急速に広域化したインターネット環境は、 公衆回線でUUCP接続をおこなっているUSENETと相互接続され、 全米の官、民、大学の各機関を接続する 共通のインフラストラクチャとしての基礎を確立するにいたりました。
1986年のNSFNET (National Science Foundation Network)の開設は、 T1 (1.5Mbps)のバックボーンを構築し、 その推進する地域ネットワークによって、 より高度な大規模広域分散環境の基盤作りへと向かいました。 そして、 より高速かつ高度なインターネット環境の構築の中心的な存在となり、 現在のT3 (45Mbps)のNSFNETバックボーンへと続いています。
USENET、その成功ゆえの破滅
ARPANETに代表される大学、 先端研究機関を中心としたネットワークが発展する一方で、 UNIXユーザーのコミュニティで発展したのがUSENETです。
1970年代末に誕生したUSENETは、 公衆電話回線でUUCP接続をおこない、 電子メールのほかに、 やがて巨大な情報交換コミュニティに成長する電子ニュースシステムの運用を始めていました。 最初は大学だけであったこのコミュニティは、 民間をも接続し、 急速な成長をみました。
ARPANETでも、もっともよく利用されるのは電子メールでした。 ネットワークを利用する人々は、 たんに研究データや、 ソフトウェアをやりとりするだけでなく、 コミュニケーションをおこなうこと、 つまり人と人との通信がより多くのものを生みだすことに気づきました。
USENETのニュース・ネットワークは コミュニケーションという点で多大なものをもたらしました。 USENETは世界でもっとも巨大な分散型コミュニケーション・システムで、 巨大な会議システムです。 ひとたび既存のUSENETサイトとの通信を確保できれば、 ネットワーク・ニュースのサービスを受けられます。 質問をしたり、 議論に参加したり、 記事を投稿したりと、 誰でもそのコミュニティに参加することができます。
テーマはコンピュータ、 ニュースシステムにかかわること、 レクリエーション、 雑談、社会、科学、 そのほかとてもたくさんあります。 いかなる個人も、 機関もUSENETを管理しているわけではなく、 すべての新しいニュースは隣接するサイトとの相互転送を繰り返し、 すべてのネットワークのサイトに送られます。
USENETへ参加するには、 既存のサイトと接続するだけです。 この容易さのおかげでUSENETは急成長しました。 1980年に50サイトだったものが、 1983年には500になり、 1985年には2,500、1987年には6,500を超えました。
USENETは、 バックボーンサイト、ブランチサイト、リーフサイトに分類できます。 電子メールは、 バックボーンサイトからのソース・ルーティングで表記されていました。 たとえば..!seismo!crash!core!dump!shin といった形式です。 実際に電子メールを送るときには、 これに自分からバックボーンへの経路を付け加えて送り出します。 規模の拡大にともないバックボーンサイトは、 100を超えるサイトにメールを中継し、それぞれにニュースを送り出すように なりました。
ブランチサイトはバックボーンとリーフのあいだにある小規模な中継サイトで、 数個のサイト間の通信を受けもっています。
USENETの巨大化は、 必然的にバックボーンサイトへの負荷の高まりをもたらしました。 トラフィックの増加にともない、 モデムの時間をとりあうためにすべてのニュースを送れないことも生じました。 また、 転送をUUCPで繰り返すために、 メールが最終目的地に到達するまでに10個以上の計算機を経由することも珍しくなくなり、 途中の経路でマシンが使えなくなれば、メールが届かないことも起こります。 リーフサイトにとっては、 自分の上流サイトのダウンは孤立を意味します。
多くのバックボーンサイトは、 新たな下流サイトを抱えることができくなり、 新しく参加を希望する人は 接続を引き受けるサイトを捜すのがきわめて困難になっていました。
電話料金の負担は、リーフサイトは上流サイトまでですむのですが、 ブランチサイト、 バックボーンサイトでは膨らむ一方でした。
バックボーンサイトでは、 過大な電話料金の負担、計算機資源、 管理者がUSENETの管理に費やす時間の増大に頭を悩ますことになりました。 UUCPでの通信は、 下流サイトのトラブルで通信が途絶えると、 未転送の電子メール、ニュースが溜まり、 そのしわ寄せが上流のコンピュータにおよび、 ひいてはその バックボーンサイトにかかわるすべての下流サイトに影響をおよぼす結果となります。 このように、 UUCPでの多段の通信における信頼性の問題が明らかになってきました。
このような状況ではUSENETの成長を維持できないのは明らかで、 対策が求められました。
UUNETの創設
1987年初め、 Washingotn, D.C.で開催されたUSENIXで、 5月からUUNETの創設が発表されました。 UUNETは、運営費として参加者から月額30ドルを徴収するほか、 平日の夜間など非ピーク時で1時間あたり3~4ドル、 それ以外では若干高い通信費を負担しました。 利用者はTymnet経由で通信をおこないました。 UUNETの創設には、 DARPAの支援とUSENIXの資金援助がありましたが、 数カ月間でネットワークを自力で運営する計画でした。
これにより、 参加者は直接バックボーンに接続できるので、 すべてのニュースグループの入手はもちろんのこと、 UUNETに集められたフリー・ソフトウェアやアーカイブにアクセスできるようになりました。 なにより、 何段階ものUUCPを経由しなくてもよいことは信頼性の向上をもたらしました。
UUNETは、 当初の役割を終えたあと、 コマーシャル・ネットワークへと発展していきました。
日本のネットワークの発展
JUNETの誕生
1984年10月に始まったJUNETの実験は、 慶応大学、東京工業大学、東京大学の 3つのサイトのあいだをUUCPで結合して始まりました。 そして、 日本で最初で唯一の全国規模のコンピュータ・ネットワークとして、 順調に発展していきました。
JUNETはUSENETと同様に、 電子メールのほか、 ニュースシステムを運用してきました。 JUNETでは電子メールアドレスに4.2/4.3BSDのsendmailの機能を利用して、UUCP通信の場合にもドメイン形式のアドレスを採用しました。 これにより、 バックボーンサイトがユーザーから隠蔽されるようになりました。 実際のバックボーンとなったのは、 東大、東工大、慶応大、阪大、NTT研究所などです。
JUNETも順調に発展し、 1989年初めに176サイトであったのが、 1990年1月には289、1991年1月に452サイトと大きく増加しています (図1)。 JUNETでUSENETと同様の破滅が顕著にならなかったのは、 まさにタイミングよく、 バックボーンは専用線を使ったより高速のIPネットワークに移行したからでしょう。
WIDE ProjectとWIDEインターネット
WIDE Projectは、 JUNETを企画した村井純氏(現慶応大学環境情報学部助教授)が中心となり、 1986年から始まった研究プロジェクトです。
WIDE (Widely Integrated Distributed Environment)の目的は、 局所的な分散環境とそれらの接続という、 階層的な構造にもとづいた大規模広域分散環境の構築技術を実証的に確立することです。 そのための研究基盤として、 WIDEインターネットを構築しています。 WIDE Projectは、 約40の民間企業と、約20の大学の研究者による共同研究プロジェクトで、参加企業の研究費で運営されています。
IPネットワーク化による構造変化
WIDEインターネットは、 研究基盤としてのネットワークとして構築されていきました。 広域的に分散したローカルエリア・ネットワークや計算機システムを接続し、 そこに共通の環境を構築する実験という目的でスタートしたJUNETにとっては、 WIDEインターネットは、 TISN、JAINなどのIPネットワークを構築するプロジェクトとともに、 事実上のバックボーンの役割を果たすことになりました。すなわち JUNETはWIDEインターネットなどに接続される組織にUUCP接続をおこなう組織を含めた メタネットワークへとその姿を変えていきました。
実際、 jpドメインにおける電子メールの配送は、 従来の東大と東工大を最上位のドメインマスターとする方式から、 IPネットワークにおけるDNSの管理に完全に移行しました。 従来は、東京大学のccutと東京工業大学のtitccaで、 jpドメインに属する全ドメインの経路を保持していました。 これを、1991年3月にtitccaは廃止、 1991年7月にはccutでも経路を静的に保持することをとりやめました。 このあとの管理はすべてDNSになりました。
JUNETの成功と破滅?
JUNETは、 トラフィックの点ではバックボーンのIPネットワーク化によって破滅を免れたものの、 組織的に集中システムをとったことで規模の増大に耐えられなくなり、 USENETとは別の問題を抱えることになりました。
JUNETは、 USENETと同じように既存の参加組織が新しい組織をつなぐ形式と、 接続も運営もボランティアでおこなう形態により成功しました。JUNETは、 全体管理者(junet-admin@junet.ad.jp)と、 各ドメインの管理者の集合体(postmasters@junet.ad.jp)によって 運営される立場をとっていました。
しかしここでも、 参加組織数と増加率、 ネットワーク構造の変化がさまざまな問題を惹き起こしました。
JUNETの抱える問題点として挙げられるのは、 以下のようなものです。
- トラフィックの増加により、UUCPの新規参加を引き受けにくくなった。
- JUNETへ参加を希望する組織数が増え、ボランティアの事務処理が追いつかなくなった。
- JUNETの参加手続きが、バックボーンのIP化と馴染まなくなった。
- 数が増えただけでなく、組織の性格も多彩になり、参加規準が明文化されていないために問題が現れ始めた。
図2 USENETニュースの2週間あたりのトラフィック(MBytes)
トラフィックの増加
接続サイト数は、 どのUUCPサイトでもほとんど増加傾向にありました。 JUNETとしてバックボーンの役割をしてきた東大のccutでは、 IPネットワーク化により下流サイトの数が減ったにもかかわらず、 モデムの使用率は上がっていきました。 これはニュースのトラフィックが主ですが、 1991年前後からこの伸びが著しくなりました(図2)。 ネットワークを維持するためには、 トラフィックを支えるリソースを用意する必要があるのですが、 ボランティア運営では非常に難しくなってきました。 UUCPが信頼性の高い通信手段とはいえず、 メンテナンスにかかる労力が大きいことも問題解決を困難にした一因です。
JUNETの運営状況の問題
JUNETは、 junet-adminというボランティア・グループによって新規参加手続きが処理されていました。 UUCPのメリットは、 特別な設備を必要としない、 UNIXでは一般的なttyインターフェイスと公衆回線を使って、 モデムでダイヤルアップ接続ができることにあります。 つまり、 手軽にネットワークへ接続できるということです。 ワークステーションの低価格化と普及は、 ネットワークへの参加を容易にしました。 ところが、 junet-adminによる参加手続きは、 ドメイン名の承認から接続完了まで、 平均3カ月を超えることが珍しくなくなってきました。 junet-adminの事務処理も、 大学の研究者などのボランティア運営に頼っており、 単純に数が増加したことだけでも、 滞る要素になったことがその理由です。 1991年12月にJNICが活動を始めるまでは、 ドメイン名の割当てをjunet-adminがおこなっていました。
数の増加と、 割当てを希望する組織の多様化によって、 ドメイン名の妥当性などの規準が不明瞭になり、 処理の停滞を助長しました。 junet-adminのドメイン名割当ては、 割当てとネットワークへの参加許可が完全に分かれていなかったことも 混乱の要因になりました。
また、 バックボーンがIP化し、 日本のネットワークの中心的な管理がIPネットワークに移っていたにもかかわらず、 その構造変化に対して、 適切に追従できない面もありました。
すなわち、 すでにJUNETの定義が曖昧になっていたのです。 UUCPで接続されネットワークの物理的実体は、 IPネットワークにつながり、 モデムポートを用意したサイトを根元とし、 UUCPで構成されるネットワークの木が、 IPネットワークのあちこちにぶら下がっている構造になりました。
IPネットワークに参加している組織は、 WIDE、TISN、JAINのどれかに属すことが比較的はっきりしています。 そして、 WIDE内でのコネクティビティはWIDEだけで得られ、 ほかのネットワークと相互接続をしています。 しかし、 JUNETをUUCPでつながった木であるとすると、それはばらばらにIPネットワークにくっついた宿り木のようなもので、 IPネットワークの存在なしには接続性が得られません。 また歴史的な経緯により、 JUNET = jpドメイン全体という認識も多く、 運営や利用について議論する際に混乱の生じる原因となり始めました。
また、 fjニュースグループ = JUNETというイメージが根強いことも挙げられます。 本誌の「NetNews便り」の以前のタイトルが、 「JUNET便り」であったことからも分かります。 USENETがそうであるように、 NetNewsは、 ネットワークのアプリケーションとしてたいへん魅力のあるもので、 ネットワークに新たに参加した人の多くが惹きつけられます。 しかし、 すでに参加しているサイトとの接続を確立すれば、 参加できるという特性と、 ドメインアドレスの組織的管理とは馴染みません。
JUNETは、 運用ネットワークとしての役割をはたすことが期待されたにもかかわらず、 運用規約、利用規約はけっきょく曖昧なままでした。 そこには運営がボランティアということから起こりうる問題として、 判断を必要とする場面では、 無難で否定的な結論を導きやすいということもありました。
けっきょくJUNETは、 規模、 内容が変化しているのにもかかわらず、 それにふさわしい運営形態に移行できないという事実が顕在化してきました。
JUNETの再編成とJUNET協会の設立
ひろく研究、学術活動のインフラストラクチャ・ネットワークであるという役割が担え、 かつ安価に、容易に接続できる枠組みは依然として必要とされていました。 この問題を解決するために、 責任主体としてのJUNET協会の設立が準備されることになりました。
JUNET協会は、 形式としてJUNETを運営する立場をとることにしましたが、 回線を実際にもつわけではなく、その点は問題として残りました。 この部分を将来的な課題におくとしても、 ともかくスタートしなければなりませんでした。 JUNET協会は、 ネットワークの利用に関して、 個々の参加者とのあいだで利用範囲を規定する責任を負い、 ほかのネットワークに対してJUNETを代表する窓口になりました。
IPネットワークにより分断された宿り木的構造のサブネットワークは、 バックボーンとは無関係に個別のネットワークであるといえます。 これを1つの単位としてみなすことにしました。 ここで、鍵になるのが、 IPネットワークとの接点になるポイントです。 このポイントの組織化が、 ネットワーク構造の整合性を保つうえで必要であると考えられました。 現実のjpドメインのメール配送系は、 この接点に対してMXを上げる、 DNS管理によっておこなわれています。 また、 MXは原則的に接点を管理するサイトでサーバーも管理することになっています。
ところが、 接点となる重要なサイトが、 十分な認識をもって運営できなかったために問題が起きました。JUNETの参加手続きは、 UUCPで下流を接続したサイトでも申請できたため、 気づいたら大きな木が育っていた、ということが起こります。 さらに、 接点のサイトの管理者に責任を負わせることへの不満もありました。
地域ネットワークの活動が活発化してきており、 この分散したサブネットワークをもうすこし大きな、 地域という単位でまとめ、 さらにネットワーク・アクティビティを向上させる動きと同調することは、 この問題を解消するためのよい方向性でした。
JUNETを代表する組織の必要性は、 ほかのネットワークに対してだけでなく、 社会に対する窓口という意味でも重要です。 コマーシャル・サービスが出現したときには、 その役割はとりわけ大きくなると考えられました。
JUNET協会の情報は、 現在JNICの情報サービスを利用して配布をおこなっています。 また事務局でも問合せを受け付けています。 事務局運営は、 従来のJUNETとは異なり業務としておこなわれており、 経費は参加組織の会費で賄われています。
しかし、 首都圏で顕著な接続先の不足の解消という問題に関しては、 ネットワーク運用サービスの出現を待つ以外に画期的な解決策はないようです。 現在のようにトラフィックが増えてしまうと、 ボランティアベースではとうてい運用できないことはもはや自明だからです。
図1を注意深く見ると、 ac(大学など)では成長率が増加傾向にあるのに、 co(民間企業)の伸び率が徐々に鈍っていることが分かります。大学ではJAINのアクティビティの高まりで、 最初からIP接続で参加するケースも少なくないのですが、 民間企業に関してはUUCPでの接続すら需要に応じきれていないことが分かります。
研究のためにネットワークを使う場合でも、 ワークステーションや、 PCを買うのと同じようにネットワークを買って、 利用することが必要とされています。
IPネットワークの発展
一方、 WIDEインターネット、 TISN (Todai International Science Network)、 JAIN (Japan Academic Inter-university Network)を中心とする IPネットワークも急速に発展を続けてきました。
WIDEは、 仙台、東京、藤沢、京都、大阪、広島、福岡に ネットワーク・オペレーションセンターを設け、 そのあいだを専用線で結んでいます。 速度も当初の64Kbpsから、 384または192Kbpsへと高速化しています。 国際接続も192Kbpsでおこなわれています。 現在、札幌、名古屋にオペレーション・センターを設置することが検討されています。 WIDE Projectは新しいインターネットの技術、 アプリケーション、サービスを研究するグループとして活躍しています。
TISNは、 東大理学部を中心とする理学系研究基盤として構築しているネットワークで、 現在はヒトゲノム・プロジェクトと協調しています。
JAINは大学間のネットワーク・プロジェクトで、 学術情報センターの提供するX.25網上にインターネットを構築してきました。JAINにより、 きわめて多くの大学がインターネットに接続し、 大学の研究環境へインターネットを普及させました。
そして、 1992年からは、 地域ネットワークが活発に活動を始めました。 ほとんどの地域ネットワークは、 まだ大学を中心とするものです。 これに学術情報センターの運営するSINETがインターネット接続を提供するようになり、 大学、研究環境では わが国でもかなりインターネット・コネクティビティが発達してきたといえます。
しかし、 これらのネットワークは目的をもって運用されており、 UUCP接続以上のコストがかかります。 このため、 誰もが接続できる利用制限のないネットワークとして、 商業サービスの提供以外に根本的解決はないと考えられます。
インターネットのコーディネーション
ネットワークに対する需要が高まり、 発展を続けるために、 ネットワークの共通資源、 技術的調整は特定のネットワーク・プロジェクトだけでなく、 共通化する必要があります。 このような調整はもちろん国際的におこなわれています。 1992年1月に正式発足した、 Internet Societyは、 インターネットの利用を推進するために、 積極的に組織の再編と議論をおこなっています。 日本でもほぼ同じ時期から、 ネットワークをスムーズに発展させるための機関が組織されています。
日本ネットワークインフォメーションセンター
1991年の研究ネットワーク連合委員会(JCRN)の技術分科会で続けられてきた 国内インターネットの諸問題についての検討から、 緊急性の高い課題として、 ネットワークインフォメーションセンター(NIC)の必要性が指摘されました。 これまでの各ネットワーク組織の有志によるボランタリーな体制では限界がみえていて、 とくに、 ドメイン名の割当ておよび管理の渋滞がネットワークの発展を阻害し始めていました。 そのような状況のなかで、 各ネットワーク・プロジェクトが協力して、 1991年12月1日、 業務を開始しました。
JNICの目的
JNICは、 計算機ネットワーク全体で共有すべき資源、 たとえば、 JPドメインやIPアドレスの割当てや管理などの業務を担当し、 計算機ネットワークの速やかな発展への貢献を目的としています。 また、 一般の利用者に対しても、 計算機ネットワーク全体の情報窓口として機能します。 散在する各ネットワークに関わる情報を収集・整理した情報を国内外に提供して、 計算機ネットワーク関係者の便宜を図るとともに、計算機ネットワークの現状に対する理解を深めることを助けます。
ドメイン名のように、 本来ネットワーク・プロジェクトと独立したものは共通のセンターで管理します。 たとえば、 ある研究所で用いているメールアドレスを世界的に通用させようとするなら、 調整された統一的な機構で割当てや管理をおこなう必要があります。 また、 各ネットワークの情報を収集しておくことで、 管理者の連絡先を教えてくれたり、 欲しい文書を送り返してくれたり、 適切な問合せ先を教えてくれたりというときの問合せ先となることをJNICは目 指してきました。
JNICからJPNICへ
JNICはインターネットの急速なひろがりを背景に、 より安定したサービスを提供するため、 社団法人に準ずる組織を参考に組織の衣更えの準備をしています。 今年の4月から、 ネットワーク・プロジェクト、 地域ネットワーク、 コマーシャル・ネットワークを会員とし、 会費の納入を受け、 名称もJPNICと改めました。
JPNICの業務
JPNICが現在おこなっているのは、 以下のものです。
- JPドメインネームの割当て
- IPアドレスの割当て
- JPネームサーバーの運用
- JPNICデータベースの管理
- 情報提供
それぞれが国際的な協調のなかで活動しています。 JPNICの提供する情報は、 IPネットワークでは一般的なwhoisやanonymous ftpのほか、 電子メールでも入手できます。 以下のアドレスへ、 本文に何も書かないメールを送ると説明文が自動的に送られてきます。
- JPドメイン名
- info@domain.nic.ad.jp
- IPアドレス
- info@ip.nic.ad.jp
- DNS
- info@dns.nic.ad.jp
- DB登録
- info@db.nic.ad.jp
- 文書配布
- mail-server@nic.ad.jp
現在はIPにかかわる緊急度の高い業務が中心ですが、 今後、 JPNICでおこなうべき業務として、 DECnetやOSI関連も必要となってきます。 とくにドメイン名に関しては、 IPネットワークだけではなく、 UUCPを用いたJUNETでも使われています。複数のプロトコルにまたがる割当ては、 まさにJPNICが担うべき役割です。
技術的な調整
インターネットはつねに新たな技術が導入されています。 また新たな接続、 急速な拡大が障害を起こさずに通信できなければなりません。 インターネットの技術的な調整の場として、 JEPG (Japan Engineering Planning Group)があります。 これは、 国際的なインターネットの技術的な調整の場である IEPG (Internet Engineering Planning Group)に対応する組織として 1992年に発足しました。 おもに、 国内ネットワーク間での技術的な調整をおこなっています。 JEPGでは、 各プロトコルごとの技術的検討をおこなう分科会や、 プロトコルを超えた電子メールの到達性のための技術的検討などの課題ごとに分科会を設置して、 議論をしています。
JEPG/IPはそのなかのIPインターネットに関する技術的検討をおこなう分科会ですが、 実際にはJEPGよりも早くから発足し、 IPインターネットの技術的検討をおこなってきました。 現在、 年に1回開かれるIPミーティングを主催するほか、 IPアドレスの枯渇問題を背景とする新しい技術、 ドメイン名、経路制御、 相互接続などに関する技術的検討をおこなうサブグループ (Task Force)が活動しています。
きわめて深刻な問題として、 IPアドレスの枯渇問題があります。 これに対しては短期的解決法と長期的対策が検討されています。 短期的には、IPアドレスの割当て方針を変更し、 いままでクラスBアドレスを割り当てていたのをやめ、 クラスCを割り当てることにしました。 クラスBアドレスを積極的に割り当てていたのは、 インターネットの経路情報を少なくすることが目的で、 サブネットの技術を用い、 組織内ネットワークの構造を隠蔽することで、 インターネットとしては、 1組織1個(あるいは数個)の経路情報のアナウンスですむのが主旨でした。 しかし、 インターネットの急速なひろがりによるアドレスの枯渇問題のほうが深刻になりました。 これまでのようにクラスBを割り当てていたらとっくにIPアドレスは枯渇していたでしょう。
そこで、 新たな経路制御技術のCIDR (Classless Inter-Domain Routing)の提案を背景に、 クラスCのアドレスを現在割り当てています。 CIDRは一言でいうと、 従来のクラスの概念を取り払いネットワークを可変な境界(ネットマスク)で定義し、 その情報を同時に伝搬するようにするものです。 現在、 JPNICはこの流動的な状況を世界的な調整方針にもとづいて、 積極的にその割当てをおこなっています。 現在は、この目的でクラスCを2の冪乗個 (4、8、16個)で割り当てています。 またクラスBは割当てを停止しています。
このあたりの詳しい事情は、 JPNICが提供しているIPアドレスの割当てガイドラインや、 RFCに記述されていますので参照してください。
コマーシャル・インターネット・サービス
このように着実に成長を続けるインターネットが、 ひろく先端活動の共通基盤としての役割を実現していくためには、米国の例を挙げるまでもなく、 コマーシャル・インターネット・サービスの提供が必要とされています。 既存のインターネット・コミュニティにもすでに受け入れ準備はできているといえます。
インターネット利用のひろがりと多様化
インターネットは、 ARPANET以来、 先端的科学技術の研究の基盤として利用されてきました。 日本のネットワークは歴史が浅いせいもあり、 コンピュータ関係の研究者のあいだではかなりのひろがりをみせていますが、 一般に浸透しているとはいえません。
1992年6月、 神戸で開かれたInternet Society主催の国際会議「INET ’92」第1回には70カ国からの参加者があり ました。 日本で開催された国際会議としては、 参加国数では最大クラスのものでした。 1993年1月現在、 IP接続のおこなわれているのが50カ国、 電子メールの届くのが120カ国に達しています。 日本では電話網や郵便制度が発達しているので、 もっとも基本的な通信手段としてこれらが利用されています。 世界のなかには電話よりも、 電子メールのほうが通信手段として有望で確実な地域もあります。 コンピュータ・ネットワークは、 けして既存の電話網の上に重畳されるものではなく、 現在の技術では電話などと並列する電気通信の重要な一分野です。
INET ’92に参加した人々のバックグラウンドもかなり多彩で、 コンピュータ、通信分野の人が多いのですが、 さまざまな自然科学の分野のほか、 社会科学の研究者や、教育、行政関係、 そして市民活動をおこなっている人などもいました。このように世界的にはインターネットはさまざまな活動に着実にひろがっています。
商用ネットワーク
コマーシャル・サービスとしてインターネットが提供されることで、 いままでのネットワークと大きく変わることは、 利用に関する制限がなくなる点でしょう。 商用ネットワークという表現の意味するところは、 商用のためのネットワークということではなく、 商用にも利用できるネットワークになるわけです。
いままでのように、 ネットワークが目的をもって資金提供を受けて構築されていく場合、 その目的の範囲内での利用しかできません。 たとえば、 ネットワークの研究であったり、 理学研究のために使ったりするわけです。 これをAUP (Acceptable Use Policy, Appropriate Use Policy)といいます。
AUPの代表的なものはNSFNETのUse Policyですが、 ここではまず、 NSFNETの目的として、 米国国内および米国の研究と、 教育を支援することと、 研究機関の活動を支援するときの営利活動に利用されるとし、 それ以外の目的での使用を禁止しています。 研究機関の活動と無関係な営利活動と、 民間企業の幅広い利用は禁止されています。
コマーシャル・ネットワークではこのような制限はしません。 電話、郵便などの一般の通信手段と同様に、 どのような目的でも使えます。 もちろん何に使ってもいいからといって、 人に迷惑をかけてはならない点は電話や郵便と同じです。 また、 必要な人が必要なときに必要なネットワークを利用できます。 回線速度、 接続方式は利用者が選べます。 それには適切な費用負担が必要なのはいうまでもありません。 しかし、 誰でも費用を負担すればネットワークを利用できるということはたいへん重要です。
IIJインターネット、日本初の総合的インターネットサービス
1992年12月、 わが国初のインターネット・サービスをおこなう会社として、 株式会社インターネットイニシアティブ企画(略称IIJ) が設立されました。 WIDE Projectのメンバーを中心に3年ほど前から、 関係省庁と検討してインターネットの事業化の可能性を模索してきました。 ひろく一般にインターネットのコネクティビティを提供するためには、 わが国では民間会社が提供するのがむしろ望ましいと思われます。 IIJには、 WIDE Projectのメンバーのバックアップのほか、 何人かのWIDE Projectにかかわってきた技術者が参加しています。
IIJは1993年3月現在、 特別第2種電気通信事業者の登録申請準備中という段階です。 IIJは、 米国のコマーシャル・インターネットを経由する国際接続のほか、 国内も独自のインターネット・バックボーンを構築する予定です。 約3年間かけて、 全国十数カ所にアクセスノードを開設する予定です。各利用者はアクセスノードまで専用線で接続し、 インターネットに参加します。 ISDNによる間欠接続も検討されています。
JUNETと同じようなUUCP接続もおこないます。 UUCP接続は、 通常の電話回線と高速モデムの組合せ以外にも、 ISDNを使った接続を提供します。 当面19.2KbpsのV.110非同期から始めますが、 最近製品の出始めた38.4Kbpsや64Kbpsのサービスを順次展開していきます。
IIJでは、 巨大なファイル・アーカイブを提供する予定です。 これはanonymous ftpとして、 全インターネットに対して提供されるほか、 UUCPでもアクセス可能になります。 IP的には、 IIJ契約者だけでなくすべてのインターネットからアクセス可能であり、 UUCPでもダイヤルQ2によって、非契約者も利用できます。
IIJの提供するサービスがほかの通信サービスと大きく異なる点は、 距離による通信料金格差が国際的にないことです。 世界中のどこと通信しようとも、 同じネットワーク利用料の負担しかありません。 これは今後のコミュニケーションを大きく変えていくと思います。
インターネットには、 数多くの有料のサービスも存在しています。 UPIのニュースをネットニュースの形式で配送するClarinetや、 コマーシャル・データベースがあります。 Dialogや、 BRSといった老舗のデータベース・プロバイダもいまやインターネットからアクセス可能になってい ます。 3月にWashington D.C.でおこなわれたINTEROPでは、いくつかの新しいサービスが発表されたというニュースも伝わってきています。
わが国でもインターネット自身がコマーシャル・サービスとして提供されることで、 新たなサービスが登場してくると思われます。 この種のものではパソコン通信が一歩先んじていますが、 これらも、 インターネットに接続し、 インターネットとのコミュニケーション、 インターネットへのサービスの提供をおこない、 さらに大きなネットワーク環境のなかで成長することになるでしょう。
おわりに
インターネットはわが国ではこれから普及の時代に入ろうというところです。
巨大な地球を覆う情報インフラストラクチャとしてのインターネットの発達は 急速に拡大しています。 今回は、 イントロダクションとして背景説明に終始しました。 次回はインターネットを有効に利用するための知識について解説したいと思います。